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福井地方裁判所武生支部 昭和33年(ワ)113号 判決

原告

山森みつゑ

外二名

被告

株式会社山本組

外一名

主文

被告等は連帯して、原告山森みつゑに対し金拾弐万弐千壱百弐拾参円、同山森信雄に対し金参万八千七百拾参円、同山森澄子に対し金参万円及びこれらに対する昭和三十三年十一月二十七日以降(但し、同山森信雄に対する内金八千七百拾参円については昭和三十六年一月十七日以降)支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告山森信雄、同澄子のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告等の負担とする。

この判決中原告山森みつゑに関する部分は金四万円を、同山森信雄、同山森澄子に関する部分は各金壱万円をいずれも当該原告が担保として供するときは、その勝訴部分に限り、それぞれ仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は「被告等は連帯して原告山森みつゑに対し金一二二、一二三円、原告山森信雄に対し金五八、七一三円、原告山森澄子に対し金五〇、〇〇〇円及びこれらに対する昭和三三年一一月二七日以降(但し原告山森信雄に対する内金八、七一三円については昭和三六年一月一七日以降)夫々完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、原告山森みつゑは原告山森信雄、同山森澄子夫婦間の二女、被告株式会社山本組(以下被告会社という)は土建業を事業目的とする会社、被告土谷は後記事故発生当時右会社の被用者として雇われ自動車運転の事業に従事していたものである。

二、被告土谷は昭和三二年一一月二三日午後一時三〇分頃被告会社のため同会社所有福井一のす○八○八号普通貨物自動車を運転して時速三五粁位で鯖江市田所町地籍新国道(幅員約九米、その両側に歩道あり)を北進し神明警部派出所前附近において(その進路約一〇米位前方には交通量ひん繁な交さ点があり、その先は見通し困難なカーブをなしている。)前方交さ点左側に停車している小型自動車一台及び前方より約四米間隔で連続して対面進行してくる自動車三台を認め、その対面進行車とすれちがい通過をしようとした。

三、このような場合自動車運転者としては進路前方を警戒すべきは勿論その左右両側に対しても深甚の注意を用い、対面進行車の裏から交さ点附近に入つてくる通行人のあることも充分予測し得るところであるから、警音器を鳴らす等の方法で警告し周到な操車をなして万一自動車の進行に気付かず交さ点附近に入つてくる児童等のあるときは直ちに急停車をなし、以て衝突による事故発生を未然に防止すべき注意義務があるにかゝわらずこれを怠り道路左側に停車中の小型自動車に気をとられ、右側を注視せず、警音器も鳴らさず、速度を時速二五粁位に減速したのみで進行したゝめ折から右側歩道より交さ点附近を左側歩道に向つて横断しようとした原告みつゑ(昭和二二年二月六日生)に衝突した。

四、そのため原告みつゑは左足部挫創及び第二、三中足骨骨折の重傷を負い、直ちに国立鯖江病院に収容され、昭和三三年二月二二日まで入院し、退院後も引続き医療に専念してきたが、ひかれた左足足趾はその後全部脱落してしまい、患部は現在尚不安定な状態にあり、絶えず潰瘍とその化膿の危険があつてガーゼ等による保護を必要とし、立居振舞に不自由を覚え、全治するも下駄をはくことのできない不具の身となり、又、治療の必要上右患部に植皮術を施したが、その皮膚を採取した両大腿部前面は相当広範囲に亘り醜悪状態(ケロイド状)を呈するに至つた。原告みつゑは右負傷自体によつて甚大な肉体的苦痛を蒙つたのみならず不治の傷痕を将来に残すことによる精神的な苦痛も又容易でないものがある。一方原告信雄、同澄子両名は今日まで素直に明朗に育つてきた愛児が生まれもつかぬ不具の身となり、次第に性格に暗さをおびるようになり、将来良縁も期待できないようにさせられたことにより、言うに言われぬ精神上の打撃を蒙つた。

五、右原告等の精神的損害は要するに被告土谷が被告会社の業務執行につき加えたものであるから、被告土谷は民法七一〇条により、被告会社は同法第七一五条第一項により各自原告等に対してこれを賠償すべき義務を負うものといわなければならない。

六、右損害額は以上の事実を含め一切の事情を綜合考慮して原告みつゑに関しては金一五〇、〇〇〇円、同信雄、同澄子に関してはいずれも金五〇、〇〇〇円が相当である。原告みつゑは訴外同和火災海上保険株式会社より昭和三十三年九月六日までに二回にわたり自動車損害賠償責任保険金一〇〇、〇〇〇円を受けたが、右金員中金七二、一二三円については被告会社が立替支払した治療費等の補償として交付を求め持去つたから、差引金二七、八七七円の限度で満足を受け、これを慰藉料の一部として控除し結局金一二二、一二三円の精神的損害額となつた。

七、原告信雄は被告会社が支払つた治療費の外に、原告みつゑの治療費として

(1)昭和三二年一一月二三日医師訴外今野義雄に対して金二五〇円

(2)昭和三三年三月八日より昭和三五年七月四日までの間、国立鯖江病院に対して金五、四六三円

を支払い、その外に、原告みつゑのために、

(3)昭和三五年一一月一五日訴外奥義肢製作所こと奥季雄より義足を、代金三、八〇〇円で買受け、同日内金三、〇〇〇円

を支払つた。右支出合計金八、七一三円も被告等の本件不法行為によつて原告信雄が蒙つた財産上の損害である。

八、よつて、慰藉料として原告みつゑは金一二二、一二三円、原告信雄、同澄子は各金五〇、〇〇〇円及びこれらに対する遅延損害金として本件訴状送達の翌日である昭和三三年一一月二七日以降完済まで年五分の割合による金員、又、財産上の損害賠償金として原告信雄は金八、七一三円及びこれに対する遅延損害金として昭和三六年一月一七日以降完済まで年五分の割合による金員を夫々被告等が連帯して支払うことを求めるため本訴に及んだ。

九、被告等主張事実中

(イ)過失相殺の点を否認する。原告みつみは本件事故発生当時まだ自己の行為の責任を弁識するに足る程度の知能を具備していなかつたから過失相殺の法理を適用することはできない。仮りに或程度の知能を有していたとしてもその程度は大人のそれに達せず、年齢相応の注意力を用いて横断しようとしたものであつて、同原告に過失は存しない。

(ロ)被告会社の免責に関する点を否認する。被告土谷は道路交通取締法違反罪の前科(昭和三一年六月二三日確定)を有する。

と述べた。(立証省略)

被告等訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

(一)原告主張事実中第一項、第二項中被告土谷が被告会社所有の普通貨物自動車を運転したこと、第三、四項中、右自動車の車輪が原告みつゑに触れ傷害の事故が発生したこと、第八項中、本件訴状送達の翌日が昭和三十三年一一月二七日であることのみこれを認め、その余の点を否認する。

(二)(イ)被告土谷が原告主張の国道八号線を、その主張の貨物自動車を時速二五粁程度で運転して北進中対面して南進する自動車三台と擦れ違つたので,その際警笛を鳴らして警告したが、その直後、最後尾車の後方より原告みつゑ(当時一〇年九月、小学五年生)が突然道路を東側歩道より西側歩道へ向つて横断しようと歩み出て来たので、同被告はこれを発見して急停車の処置をとつたが間に合わず、原告みつゑに自動車の車輪を接触させたものである。同原告はその年齢に応じて交通に関する一般的知能を有していて、比較的交通ひん繁な前記の場所で道路を横断するには前後の自動車の有無を見る等して特段の注意を払うを常識とするところ、南進通過の自動車のみを見て、その後方より漫然車道に歩み出るごときは通常の注意を欠いたものにしてかゝる自己の過失によつて本件災害を受けたものである。仮に被告土谷において責任を負うものとしても民法第七二二条に則して過失相殺されるべきである。

(ロ)被告会社は被告土谷の選任及び監督について注意を怠らなかつた。被告土谷は昭和二七年七月被告会社に被用されてより昭和三三年一二月までの間に二回に亘り、無事故並びに優良運転手として表彰されているものである。

(ハ)本件は生命侵害の場合でないから、被害者原告みつゑの父母である原告信雄、同澄子は民法第七一一条による損害賠償請求権を有しない。

(二)被告会社は本件事故発生後、原告みつゑの病院における入院費、治療費等金七二、一二三円を直接支払つている。右につき後日損害賠償保険において原告主張のように、一旦、原告みつゑが保険会社より右同額の金員を受領した後、被告会社が原告みつゑの手許からこれを受取つていることはこれを認める。

と述べた。(立証省略)

理由

原告みつゑが原告信雄、同澄子夫婦間の二女、被告会社が土建業を事業目的とする会社、被告土谷が本件事故当時被告会社の被用者として雇われていたこと、被告土谷が被告会社の業務に従事中、昭和三二年一一月二三日被告会社所有の福井一のす○八○八号普通貨物自動車を運転していたこと、鯖江市田所町地籍新国道上、神明警部派出所北方交叉点附近において原告みつゑ(昭和二二年二月六日生)が右自動車の車輪に触れ傷害を蒙つたことはいずれも当事者間に争のないところである。

成立に争のない甲第二(後記措信しない部分を除く)第五、第七、第九、第一三乃至第一六号証、証人加藤惣太郎、同永杉裕治の各証言、鑑定人山村貞夫の鑑定の結果によれば被告土谷は本件事故当日午後一時三〇分頃、前記貨物自動車を運転して前記新国道(幅員約九米、その両側に歩道がある)を北進し、神明警部派出所前附近に差掛つた際前方より約四米間隔で連続して対面進行してくる自動車三台を認め、警音器を鳴らし、自己の運転する車の速力を時速約二五粁に落して、更に約二〇米近く進行し、偶々道路左(西、以下同じ)側端に、小型貨物自動車が停車していたのでその右側を通過しようとなし、その間、道路右(東、以下同じ)側人道附近は右対面進行車のために見難い状態であつたが、そのまゝ右対面進行車最後端を過ぎかけたとき、右斜前方八、七米位の地点に右道路上を右側より左側に向つて小走りで略々直角に横断して来る原告みつゑを発見して直ちに急停車の処置をとつたが及ばず、更に四米程進行した地点にて右自動車の右前車輪を同原告に接触させた(右接触地点より北方五米位には交通量ひん繁な交叉点があり、その先は見通し困難なカーブをなしている。)ことが認められる。証人大橋数美の証言及び検証(昭和三五年五月一二日)並びに被告土谷本人尋問の結果中には被告土谷が警音器を吹鳴したのは右対面進行車の最後端部とすれちがい通過を了えようとした時である旨の供述部分があるが右はいずれも甲第七、第九、第一五、第一六号証と対比して措信できないし、又、甲第二号証(実況見分調書)によれば被告土谷は原告みつゑを発見して直ちにハンドルを左に切つて停車し、その時には自動車の左後車輪は道路左側端に在つた小型貨物自動車の右側面と四〇糎位の間隔に迫り、全体として道路左側に偏して斜になつていた旨の記載部分があるが、甲第五、第一三号証及び証人加藤惣太郎、同永杉裕治、松本竜二、大橋数美の各証言に徴すれば被告土谷の操縦していた自動車が本件事故直後停車した際、右自動車は道路に対して略々平行に近い状態であつて、道路左側端に在つた小型貨物自動車との間隔も、その間を容易に通り抜けることのできる程度であつたこと、その後被告土谷は自己の操縦していた自動車に被害者みつゑを乗せて病院に赴くため右車を運転してその場を立ち去つたこと、甲第二号証はその後事故車を事故現場に戻して被告土谷の指示に基いて同車の事故発生直後の停車位置を再現させた上で作成されたものであることが窺われるので甲第二号証中前記記載部分は容易に措信できないところである。尚原告みつゑ本人尋問の結果中原告みつゑは前記対面進行車が神明警部派出所前附近まで通過して行つたのを見送つた上、同方向更に反対方向を見て他に車のないことを確めて道路を横断し始めた旨の供述部分があるが右は甲第七号証と対比して容易に措信できない。他に前記認定に反する証拠は存しないところである。およそ自動車運転者として前記のような比較的交通量の多い交叉点近くにおいて連続して対面進行して来る車とすれちがい通過をするに当つては、道路右側の人道附近が対面進行車のため見透し困難のため、すれちがい通過の後、その背後から不意に自己の進路上に飛び出てくる者があつても容易に発見できない状態にあつたのであるから、このような場合、進路前方のみならず左右両側に対しても注意をなすと共に、対面進行車との離合が終るまで適度に警音器を鳴らし続けるなどしてすれちがうべく、尚も進路を横断しようとする者がある場合はいつでも直ちに急停車をなし得るよう充分減速して車を操縦運転する等各場合に応じ機宜の方法を講じて、衝突による事故発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるものといわなければならないところ、被告土谷は偶々道路左側端に停車していた小型貨物自動車の存在にのみ気をとられて右注意義務を怠り、道路右側に注意せず、対面進行車とすれちがい通過完了直前に警音器をも鳴らさないまゝ進行した過失のため本件事故が惹起したものと判断される。

次に、被告会社は被告土谷の選任及びその監督について深甚の注意を怠らなかつたと主張するので案ずるに証人奥山尚の証言(第一回)、乙第六号証の一、二によれば被告土谷は過去二回にわたつて交通安全協会から無事故につき表彰を受け、被告会社としても平素所属運転者に対して速度、積載量等につき注意を促していたことが認められるが、一方成立に争のない甲第三、第十四各号証によれば被告土谷は昭和三十一年中にスピード違反で罰金一、〇〇〇円の刑に処せられたことも認められるところであつて、前記認定事実のみでは、まだ、被告会社としては被用者の選任及びその監督について深甚の注意をしたものとはいえず、他にこれを認めるに足る証拠はないから、この点の被告の抗弁は採用することができない。

そこで、原告等の蒙つた損害額について案ずるに成立に争のない甲第一七、第一八、第二〇乃至第二二号証、証人勝木道夫、同山下道也の各証言並びに原告信雄、同澄子各本人尋問の結果によれば、

(一)原告みつゑは本件事故により左足に左趾脱臼、足背創傷の傷害を蒙り事故当日より昭和三三年二月二二日まで入院加療し、その間左足第一趾(親指)骨の先端第一節、他の趾骨は全部いずれも亡失し、患部は大腿部前面より植皮してこれを包み、(いわゆる足の指はない。)退院後昭和三三年一一月頃まで通院加療し、昭和三五年四月頃一応症状は固定した模様であるが尚、潰瘍治療を必要とし、後遺症として左足腹面(裏側)部は強圧を受けると痛みを感じ、左脚の太さは右脚に比し二乃至三糎細く、長時間の正座に堪えることができず、蹲踞は困難であり、歩行能力は一粁程度にして保護跋行となり、趾関節運動に軽度の障害があり、大腿部前面に相当広範囲に亘りケロイド状(植皮のために表皮を採取した跡)を残して醜悪感を呈していること、本件事故後、学業成績は一般に低下し、努めて前記患部(左趾部、大腿部前面)を隠そうとして性格も消極的、反発的となつたこと、

(二)原告信雄は原告みつゑの治療費として被告会社が支払つた分の外に

(1)昭和三二年一一月二三日医師訴外今野義雄に対して金二五〇円

(2)昭和三三年三月八日より昭和三五年七月四日までの間、国立鯖江病院に対して金五、四六三円

を支払い、その外に原告みつゑのために、

(3)昭和三五年一一月一五日訴外奥義肢製作所こと奥季雄より義足を代金三、八〇〇円にて買受け、同日内金三、〇〇〇円

を支払つた(計金八、七一三円)こと、

を夫々認めることができ、他に右認定に反する証拠は存しない。一方、証人山下道也の証言によれば原告みつえは本件事故当時小学五年生にして学業成績も普通程度以上であり、学校において一般に交通規則の教育、訓練を受け、交通事故の発生を避けるに必要な程度の注意能力を充分有していたことが認められるから、原告みつゑとしては交通量の比較的多い本件事故現場附近道路を横断するに当つて、左右を見渡し、或いは自己の側近を車が通過した直後は、その反対方向を見透し、いずれも自己に接近して疾走して来る車の有無を確認する程度の注意は当然要求されているものといわなければならないところ、さきに認定した本件事故発生事実によれば同原告は道路の横断を急ぐ余り前記対面進行車の通過直後、反対方向からの車の存否を確めることなく、直ちに道路の横断を開始し、その左より疾走して来た被告土谷の車に衝突する直前までこれに気付かなかつたことが明らかであるから、この点も本件事故原因の一半をなしているものと判断せざるを得ず、該過失は原告みつゑの損害額の算定について斟酌されるべきところである。叙上認定事実に徴し、原告みつゑが右負傷により受けた精神的、肉体的苦痛は多大のものがあり、又、傷痕による不具者として将来の精神的苦痛も少くないところ、甲第一四号証により認められる被告土谷は自動車運転者として特に資産もない事実、及び証人奥山尚の証言(第二回)により認められる被告会社は自動車三台を所有し、従業員五〇名位を擁して年間金二乃至三千万円の額に達する取引のある会社である事実に原告みつゑの過失、その他本件諸般の事情を斟酌すれば、原告みつゑに対する慰藉の方法として尚、被告等の支払うべき慰藉料の額は、原告みつゑの主張する金一二二、一二三円を以てするも多きに過ぎるものということはできない。次に原告信雄が原告みつゑの親権者として同原告のために支払つた治療費、義足代計金八、七一三円については被告等よりその賠償を受くべきものといわなければならない。

最後に原告信雄、同澄子自身も亦原告みつゑに対する傷害について被告等に対して慰藉料の請求をしているので、かかる請求が認容されるべきものであるかを検討することとする。この点については従来民法第七一一条の解釈を廻つて(同条項中、被害法益について「生命侵害」、請求権者として「被害者の父母、配偶者及び子」と夫々規定されてあるを以て制限的規定とみるか、例示的規定とみるかによる。)学説、判例共に消極、積極の両説あるところである。しかしながら、生命以外の法益侵害を受けた者の近親者の蒙る精神的苦痛が事情によつては決して小さくない場合もあり得るものであつて、夫婦間、親子間等の身分関係は法律上保護されるべき利益ということができるから、ある者が傷害を受けたときに同時にかゝる親族権乃至身分権の侵害として、民法第七〇九条、第七一〇条に則し、その近親者自身の慰藉料請求を認めるべきものと解するを相当とする。唯その中、近親者の「生命」侵害の場合にして且つ、一定の身分関係の者については、額の点を別として、民法第七一一条により当然(特段の事情を立証をまたないでも、)慰藉料請求権が認められるものとし、その他の場合には民法第七〇九条、第七一〇条により著しい精神上の苦痛を受けた事情が特に立証されてはじめて慰藉料請求が認められることゝなろう。そこで本件についてみるにさきに示したとおり原告みつゑは本件事故により左足部、大腿部に終生除去することのできない瘢痕を残しており、原告澄子、同信雄各本人尋問の結果によれば原告信雄、同澄子がこの未成年の子の肉体的精神的苦痛を我身の苦痛のように感じ、又、その将来について不安を抱いていることが認められるので、本件事故による原告みつゑの受傷について原告信雄、同澄子にも慰藉料請求を認容することとし、本件に現われた一切の事情を斟酌してその額は各金三〇、〇〇〇円を以て相当と認める。

以上の理由により被告等は各自、慰藉料として原告みつゑに対し金一二二、一二三円、原告信雄、同澄子に対し各金三〇、〇〇〇円及びこれらに対する本件事故後にして本件訴状送達の翌日であること当事者間に争のない昭和三三年一一月二七日以降右完済まで民法所定の年五分の遅延損害金を、本件につき生じた物的損害として原告信雄に対し金八、七一三円及びこれに対する遅くとも昭和三六年一月一七日以降右完済まで民法所定の年五分の遅延損害金を夫々支払う義務があるものというべく、この範囲において原告等の請求を認容し、その余の請求はこれを棄却し、尚民事訴訟法第九二条、第九三条、第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中村捷三)

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